お知らせ

news


花コリ2023大阪会場「喪失の家」チョン・ジンギュ監督トーク録

韓国と日本でアニメーションを学んできたチョン・ジンギュ監督。ソウル・インディ・アニフェスト2022にて一般部門優秀賞・観客賞をダブル受賞した『喪失の家』について、また、両国のアニメーション教育の違いについて伺いました。東京藝術大学に留学経験のあるチョン監督には通訳なしで、日本語でトークをしていただきました。

日時 5月13日(土)14:35~韓国短編プログラム2上映終了後、約40分
場所 中崎町・PLANET+1
ゲスト チョン・ジンギュ(『喪失の家』監督)
聞き手 小川 泉(『山火事』監督)

ゲスト紹介

チョン・ジンギュ(『喪失の家』監督)
韓国ソウル出身。2008年韓国芸術総合学校卒業。15-17年Shelter、19年Workroom Yahaにて2Dアニメーター。18年東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻入学、22年修了。

『喪失の家/상실의 집/The House of Loss』
2022 / 09:47 / 2D / 韓国、日本 / チョン・ジンギュ 전진규

老人ホームで老人たちは頭を刈られる。そこで働く主人公は老人たちを観察するが、彼らの表情は読み取れない。しかし、ある瞬間から、彼らの顔を眺めるようになる。

Director’s note
経験に基づいた物語。朝鮮戦争を経験した高齢者を若い世代は理解できず、高齢者も若い世代の喪失を理解できないが、ある瞬間、主人公は過去の世代について考えるようになる。僕は、時代の断絶が、韓国が抱えるさまざまな問題を作った大きな原因だと思っており、最近のように寛容さを失う時代に、他人のことを真剣に考える必要性を感じ、制作した。 

一般部門優秀賞、観客賞
映画祭監督メッセージ
※花コリ2016『Material Girl』、花コリ2020『死の商人』

小川:
チョン・ジンギュ監督です。『喪失の家』は、2022年ソウル・インディ・アニフェストの一般部門優秀賞と観客賞をダブル受賞しました。この作品は、戦争が終わっていない老人たちと、若者である主人公との対比がまずあって、そこからいろいろな視覚的イメージ、例えばバリカンで頭を刈られる時に、上に乗っている人物たちも落とされていくとか。時計の文字盤が乱れたりとか、老人ホームの中に銃弾が飛び交っていたりとか、そういう視覚的イメージが表現されている作品です。最初は老人と若い主人公が全然お互いに分かり合えない、繋がれないのかなと思って見ていくと、いろいろなイメージを経て、だんだんと相手が見えるようになっていく過程が、素晴らしいアニメーションだなと思いました。この作品を制作したきっかけを教えてください。

チョン:
10年前に兵役を経験しました。僕は体に問題があって、一般の軍隊ではない場所で服務することになりました。老人ホームや社会的な施設などで、2年間服務する制度です(訳注:社会服務要員といい、公共施設などでの無償勤務で兵役を代替する)。僕の場合は、老人ホームで2年間働きました。この物語を僕がアニメーションで制作することは、 当時は全く想像できませんでした。だけど、年を重ねていくほどに……。
この作品をつくった時は日本にいましたが、日本にいると、自分の国、母国である韓国はどんな国かということを考える機会がありました。韓国にいた頃には、韓国についてあんまり考えていませんでしたが、 外国にいるからこそ、自分がどこから来たのかということが気になって。2018年ぐらいでしたが、新聞などのニュースで、ジェネレーション・ギャップに関わるいろいろな問題がイシューになっていたので、10年前のことを想像しながら作品を仕上げました。自分自身も、10年前の自分の姿を分かっていませんでしたが、制作しながら、10年前の自分と出会う、出会いたいと思いました。それがきっかけです。

小川:
兵役に就いていたのは、25歳くらいですか?

チョン:
24歳から25歳くらいですね。

小川:
期間は2年間だったのですね。

チョン:
普通の兵役よりも長いです。

小川:
普通の兵役は?

チョン:
時代によって変化しますが、(自分は)3〜4ヶ月くらい長かったです。

小川:
実際に老人ホームで老人たちと接する中で、この物語が出来てきたんですよね。

チョン:
10年前のことなので、制作前にリサーチもしたかったのですが、(制作時期が)2019〜20年で、コロナのせいでリサーチができなかったんです。だから、全部自分の中で考えて、想像しながら制作しなければなりませんでした。でも逆に、リサーチができなかったので、うまく表現できた部分も確かにあると思います。アニメーションとか、イメージ、視覚的な表現が。もちろん、リサーチができないからこそ、気をつけなければならなかったところもありました。

小川:
調べたり、取材したりができなかった分、自分のイメージの中で膨らませていったという感じですか?

チョン:
はい。

小川:
そのイメージのひとつひとつについて聞いていくと大変かと思いますが、私がすごいと思ったのが、最初の、老人ホームに入るとみんな髪を刈られてしまって、思い出や蓄積していたものごと落とされしまって、そして兵役に入る若者自身も、髪の毛を落としてから入っていくという、共通点がありますよね。老人たちと若者に。それから、時計が何回も出てきて、文字盤がウワーッとなったりするイメージは、どうやって思いついたんですが。難しいかもしれませんけど(笑い)。



チョン:
難しいですけど、なんとか話してみます(笑い)。最初の髪の毛の場面は、実際に見たものです。韓国の老人ホーム、韓国の福祉のシステムの問題かもしれませんが、2010年の頃ですね。僕も、こうしたシステムや政治のことを勉強してはいないので詳しくありませんが、認知症の人たちに国から支援があるのですが、施設にはいい施設もあれば、悪い施設もある。悪い施設の方に、認知症の程度が進んだ人たちがたくさんいました。いい施設に程度の進んだ人がいたら、他の入所者たちが嫌がってしまう、こうした、システムの細かい問題があります。僕が働いていたのは、よくない施設の方だったので、入所してくる老人たちは、みんな捨てられた人たちでした。髪の毛の管理ができないので、切っていたんです。
当時、老人が窓の外をずっと見ていたんですが、窓の外には(高層)アパートやマンションが壁のように立ち並んでいて、あの老人は、どんな風景を見ていたんだろうと考えて、「切られるものは髪だけでなはいかもしれない」という文を書きました。それが、このイメージのきっかけです。この一文から、始めていきました。同じ場所にいても、それぞれ持っている時間の観念が違うし、経験もそれぞれ違うから、時間も同じ時間ではない。これをどうイメージとして表現しようかと思った時、時計の数字を重ねるのがいいのではないかと思って、入れて見ました。



小川:
症状の重い認知症の方が入られる施設だったんですね。

チョン:
はい。今は変わっているかもしれませんが。

小川:
次に、作品が「老人ホーム」「2010年」「花火の夜」「視線」の短い4つの章に分けられていますが、4つに分けた理由を教えてください。

チョン:
最初は僕の観念ではありますが、どうやってこの経験を物語として作るのかが、とても難しかったです。僕の10年前の記憶は、自分の頭の中にあるから、変わってしまった可能性もありますね。経験は事実ではないし。でもよく考えてみると、印象的なイメージははっきりとありました。そのイメージをまず紙に描いてみて、それらを見ながら、連結させられるのではないかと思いました。だけど、このイメージの中で、メッセージは違うかもしれない、まだどうシナリオを作ればよいか分からなかったので、最後のクレジットのイメージで、結構リアルなイメージですが、チェ・ミンシクという韓国の有名な写真家ですが、彼の写真を絵に描いてみました。写真の中の人たちを描くことを通じて、写真の中の彼らのことを理解しようと努力するプロセスを踏み、徐々に理解できていると考えました。それらの絵がビジュアル的に力強く感じられたので、それぞれ異なる物語を描いても、最後にひとつの物語としてとらえてもらえるのではないかと思いました。

小川:
無理やり1本のストーリーにするんじゃなくて、4つの断片的な強く印象に残ったものを並べた上で、最後のクレジットの白い背景の絵を並べることで、1本の作品にまとめたということですね。

チョン:
そうですね。

小川:
サウンドデザインも面白いと思いました。主人公のモノローグ、語りがベースで入っていて、穏やかな音楽が流れていて、効果音が入っている。強烈に老人 が叫ぶシーンがあるんですけど、彼らの声は聞こえない。でも悲痛さや苦しさや叫びが音として聞こえない分、視覚的にとても印象づけられて、監督自身の優しい距離感があるように演出されているのが、この作品のサウンドデザインだなと思いました。こういう音響にしようと思ったのはどういう考えですか?

チョン:
(今のコメントと)同じ考えがありました。声が入っていたら、キャラクターが規定されてしまうのではと思いました。実は、キャラクターも誰がどの人かを、あえて少し曖昧に作ってあります。それは、自分自身がこの人たちがどういう人なのかあまり理解していないことを、表現しようと思ってそうしました。なので、特別にキャラクターごとの声も入れませんでした。音楽やサウンドは全部音楽監督さんに任せました。

小川:
この作品について最後に、皆さんに伝えたいことはありますか?

チョン:
メッセージですよね?うーん、メッセージより……(笑い)。

小川:
あっ(笑い)。見てくれということだと思うのですが…。

チョン:
いや、自分は今30代になりましたが、30代だと友達は全部会社に就職しているし、安定していて、結婚する人もいるし。僕は自分のお金を全部使って、貧乏な環境でこの作品を作りました。作り進める間、なぜ自分はこの作品を作っているのか、作る意味は何だろうかと、ずっと考えていました。
実は、10年前の自分について、感覚的なイメージはかすかにありますけど、それが何かということはあんまり言ってなかったです。だけど、作品を作りながら、10年前の自分に出会ったような気持ちになりました。自分が知らない自分の姿を、自分が知らないテーマを探すため、創作をする理由が、まさにそれなんだと思います。
実はもともと父親と、世代間のギャップもあってあまり仲良くなかったんですが、 作品を通じて自分の父親の世代の気持ちが分かるようになったと思います。韓国で地下鉄に乗ったりしていると、あまり身なりが良くなかったり、マナーが良くないようなお年寄りをよく見かけるのですが、ただ、そういう人たちがどうしてそうなのかも、理解できるようになったと思います。自分が創作をしている理由とは、自分が知らないことや分からないことについて知ったり理解したりすることでもあると思います。作品から受け取るメッセージは人によって違うかもしれませんが、自分にとっては、こういうメッセージがあります。

小川:
対象をより理解するために、アニメーションとして形にされて、それを皆さんに見ていただいて、皆さんの中でもご自身の記憶、いろいろ思い出すこともあるでしょうし、それをお客さんから聞けたら嬉しいですよね。

チョン:
そうですよね(笑い)。

小川:
次に、韓国と日本のアニメーション教育について伺います。監督は韓国トップの芸術大学である韓国芸術総合学校で4年間アニメーションを勉強されて、卒業後 、韓国のスタジオで何年か働かれてから、東京藝術大学の大学院に入って、またアニメーションを専攻されていたと。韓国と日本の両方でアニメーションを学ばれていたと思うんですが、それぞれに違いはありましたか? 大学院と大学がそもそも違うので、難しいかもしれませんが。

チョン:
2つの学校は、カリキュラムが一緒です。KーARTS(韓国芸術総合学校)のアニメーション科のカリキュラムは、藝大のそれよりもずっと前に作られました。学校そのものは、藝大の方が早く作られていますが。藝大でアニメーション科を作る時に、KーARTSを参考にしたと聞いています。いろいろ比較できると思いますが 、KーARTSというのは本来は大学組織のはずなんですが、大学院レベルの授業をやっています。だから、比較しやすいかもしれませんね。
一番違うと思ったのは、学生が違います。カリキュラムは同じでも、学生が持っているエネルギーですね。韓国の人たちは、自分の内面より、外部にエネルギーを出していきます。問題があったら、それを解決するために、自分の環境から問題を解決する方法をまず探します。問題を解決するのに適しているし、合理的な方法を早く見つけられます。でも、彼らは短期的なことには強いけれど、長期的なことには弱いです。日本の学生たちは、問題を解決する時に自分の内面の中で解決しようとする傾向が強いと思います。解決策を早く見つけることはできませんが、長期的に見るととても強い部分があると思います。内面的な力が非常に強い。成長するためには両方の力が必要だと思います。あと、韓国は非常に競争主義的です。
課題のフィードバックなどは非常に率直に直接的に言われます。なので、優秀な学生はどんどん伸びていきますが、できない学生はそのまま落ち込んでしまうことが多いです。
それと比べて日本は、平等、平均的であることを非常に重要視していると思います。短期的に勝負するのではなく、長期的に。その学生が持っている問題について、率直に話をせず、自分で解決していくためのヒントだけを少し与えるような言い方をする。飛び抜けてパワフルな人は出てきませんが、平均的にみんなが進歩していくやり方ではないかと思います。
個人的には、藝大とKーARTSを比較すると、藝大に適した学生、KーARTSに合っている学生がいると思います。韓国人であるとか日本人であるとかに関係なく。日本語がどんどん大変になってきました(笑い)。

小川:
難しい話になってきましたよね(笑い)。カリキュラム自体が一緒だとすると、同じことを2回勉強したってことですか?

チョン:
完全に一緒です(笑い)。

小川:
監督としては同じことを2回やった感覚だけど、周りの学生とか先生との接し方みたいなものは、違っていたということですね。今のお話を聞いてると 学生とか先生とか学校の中だけじゃなく、日本人自体が割とそういう感じなのかなと。何か悪いことがあっても、相手は変わらないからこっちの考え方を改めるとか捉え方を変えるようにしよう、みたいな風潮を日本人に感じませんか(笑い)?。

チョン:
韓国は、お前はこれは上手だがここが弱いと、はっきり言ってくれます。だから、韓国の人は、個性があっても内容的な部分では絶対あきらめません。日本の学生の作品は、弱いところはすっぱりあきらめるところがあると思います。韓国は、できない人は全部おしまい、という感じですね。

小川:
東京藝大の大学院では、1年東京にいらっしゃって、その後コロナ禍になってしまい、韓国でzoomで授業を受けていたそうですが。

チョン:
2018年に藝大に入学したんですが、 2019年に留学費用が全部なくなっちゃって、韓国に戻らなければならなくなったんですが、コロナ禍で日本に入れなくなってしまった。それから全部オンラインで。あさって東京に行くんですけど 2019年から3年ぶりです。

小川:
zoomでの授業って、先生とは、やり取りできそうですけど、学生同士の関わりは、zoomでやり取りできたんですか?

チョン:
あまりできませんでした。だけど、やり取りする雰囲気があればそうでない時もあるし、学校のシステムとは関係なく、 僕の同級生は気にしない方でした。
2018年の通学していた時期には、誰も学校で制作をしていなくて。授業だけ聞いて、みんな帰ってました。みんなアルバイトしていて(笑い)。僕の時には、あまり学校に集まって何かするという雰囲気ではありませんでした。

小川:
韓国で大学を卒業された後、2019年から「Workroom Yaha」という韓国のスタジオで2Dアニメーターとして働いていたと。今回の「韓国短編1」のプログラムで作品が上映された『魔法が戻る日の海』のハン・ジウォン監督のスタジオなんですよね?

チョン:
僕の大学の同期です。

小川:
現在はどんなお仕事をされているのですか?

チョン:
現在は、アニメーション・フリーランサーとして活動しています。『喪失の家』の後では、昔はクライアントの指定で仕事をしていましたが、最近は自分のスタイルで制作してください、という依頼の仕事がどんどん来ています。

小川:
コマーシャルですか?

チョン:
コマーシャルはあまりありませんが、ドキュメンタリーとか。
外国から、短編の有名な IP から、この社会問題を背景として、20分くらいの作品を作ってほしい、というプロジェクトの依頼がありました。演出としてのポジションの仕事が増えている感じです。

小川:
自分が描くというよりは、他のスタッフの司令塔として?

チョン:
自分が描くこともありますが、将来的にはそっちの方になっていくと思っています。

小川:
今はフリーランスで、ご自身のスタジオをお持ちなのですか?

チョン:
これから作る予定です。今、スタッフを探しています。

小川:
20分くらいの結構大きな仕事が来た場合も、監督が演出家でいたとして、他のアニメーターはどうやって探すんですか? スタジオがあれば、そのスタッフでいいんですが。

チョン:
10月にスタジオがスタートする予定です。プロデューサーは見つかりましたが、ヘッドアニメーターを韓国で探しているんですが、今回のプロジェクトでは、日本のフリーランス・アニメーターにもあたっています。

小川:
楽しみですね。
残り時間も少ないので 、観客の皆さんに、ご質問があればお伺いしたいと思います。作品に関してもいいです。

質問者:
最初に感じたのが、絵がすごく上手いなと思ったんですが、日本の漫画家の浦沢直樹さんの絵が動いているような感覚で感動したんですが、影響を受けた作品などはあるんですか? アニメーションに限らず、意識したものなど。

チョン:
昔、ヨーロッパの作家、ピカソやエゴン・シーレなどのドローイングをたくさん見ました。ミケランジェロの手の姿とか。ポーズから感情が出ているような絵があって、例えば、ヴァン・ゴッホの悲しみ。ヨーロッパの作家のスケッチやエスキースを、たくさん見ました。

小川:
アニメーションから影響を受けたというよりは、絵画作品を参考にした。

チョン:
ポーズだけで感情が現れるような絵をたくさん見て、参考にしました。

質問者:
作品の中に、朝鮮戦争やベトナム戦争など韓国の現代史の出来事が含まれていて、認知症の人の記憶を通じてそれらを振り返っていくという要素もありましたが、日本で、東京藝大の卒業制作で、日本の人たちを主なターゲットとした時に、日本では知らない人が多い歴史の出来事や、それに対して韓国の人たちが持っている概念や感覚を、韓国以外の観客に伝えるにあたって難しかったところや、意識したことを聞きたいと思います。

チョン:
KーARTSにいた時に、本当に好きな映画監督のイ・チャンドン監督が、「韓国の人は、必ず韓国の物語を作るのががいい」という話をしていました。『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ監督が、「最も個人的なものが、最も社会的なものだ」と言っていました。僕もそう思いました。
日本にいて、日本人にはなれないんだ、ということが、はっきり分かりました。だって僕は韓国人というアイデンティティを強く感じているから。だから、韓国について話をしてみようと思って。別の国の人にどう認められるかは、あまり気にしませんでした。背景も知らないでしょうから。気にすれば気にするほど、作品がおかしくなる、面白くなくなると思って。どこまで説明するかよりも、逆に何を見せないかを考えるのが、優秀な監督だと思っています。

小川:
この作品は、実際に日本でも賞を取られていますし、ヨーロッパ圏でもたくさん受賞されているので、韓国人としてのアイデンティティを持ったものが、世界中で見てもらっている、という感じですね。

質問者:
先ほど、KーARTSと東京藝大のカリキュラムがほとんど同じとおっしゃっていましたが、東京藝大の日本人の作品だけでなく、日本の芸大で作られるようなアニメーションと、花コリで上映される韓国のアニメーションと、明らかに学んでいるベースが違うところがあって、韓国の人たちは、絵コンテ、カット割がとても映画的に感じます。日本の芸大の人たちは、グラフィックの延長で作っている感じがしています。KーARTS以前に、映画的なものを学ぶ機会があったのかお聞きしたいです。

チョン:
いい質問だと思います。日本では、産業的に成功した「アニメ」というものがはっきりあるので、それ以外のものを作りたいという方向性があるかもしれませんが、韓国では、産業的に成功したものが全然ない。だから、映画を学びながら勉強しなければならないのだと思います。こういう環境の差があるかもしれません。
今回上映した作品の中の『角質』はKーARTSの学生、僕の後輩ですが、この作品も映画的な表現が用いられていますね。あとは、日本よりも韓国の人の方が、もっとリアル志向、社会的ですね。そういう雰囲気もありますね。

小川:
ありがとうございます。これで終了したいと思います。チョン・ジンギュ監督でした。

アーカイブ

PAGE TOP