「私」が存在しようとするとき、「あなた」がいなければならない。それは当然の道理だ。あなたがいるから、私がいる。私が私として存在するために、あなたに伝えたい物語。それはもしかしたら、私自身に伝えたい物語なのかも知れない。
[誰かに何かを“伝えたい”存在たちの物語を集めた作品集]
長いテーブルの両端に、向かい合う二人。一人がもう一人へボールを投げ始める。一方的だったボール投げが、徐々にキャッチボールへと発展するが……。
私たちは、さまざまなしがらみの中で生きている。それらは突然予告なしに始まることも、また破壊的な結末になることもある。関係が終わる時、生きることの無意味さ、疲労、弱さのような暗い感情が表れ、また消えていく。だが私たちは、その周辺から離れることはできない。
夜明けの浜辺。悩める息子に、父親が3つの貝の物語を聞かせる。
話し手によってアートワークが変わるという企画意図に合わせて、エピソードごとに異なるアートワークで演出した。森は多少かっちりしたデザイン・コンセプトのもと、すべてデジタル処理した。花畑は、最初のエピソードよりも軽快な印象のデザインと遠近感を消した平面的なコンセプトで、背景は実際のテクスチャーを利用した。宇宙のエピソードは、子どもの世界観を生かすため、すべてクレヨンを用いて制作した。
子どものころから住んでいた広い家は、家族がいるせいで窮屈な水槽のように感じられていた。独りで暮らす狭いワンルームは、どこまでも広がる海のようだ。
家族に対して感じる不快感、それはつまり、窮屈さや抑圧なのでは?と考えた。なので、家族の中で押しつぶされそうになり、ついには画面の外へと押し出されてしまうよう演出した。さまざまな画面が交差し混沌とした水槽から抜け出し、平和な独り暮らしの部屋に戻る過程を表現したかった。
キム・ソラは“歯科の治療”という避けられない問題から逃げ出した。走るソラを追いかける巨大な歯は、彼女をせき立て不安にさせる。人工的な植物に覆われた歯科医院からどうにか脱出して、見慣れた森にたどり着いたが、ホッとしたのもつかの間、森はコンクリートの都市へと変貌する。
いつもそこにあった山。それは幼いころの遊び場であり、家族と一緒に過ごしたリゾート地や散策路、春の遠足の定番の行き先だった。そんな自然が“森勢圏”と呼ばれる高級住宅地へと変貌し、高級マンションが屏風のように建ち並んだ。見慣れた風景は消え、森は資本家の誰かの庭になった。風景の変化は、思い出が消えることを意味する。疲れた時に安らぎをくれた風景、そしてその中の思い出も消え、日々目まぐるしく変化する街並。それは、お前も早く過去を忘れて変化しろと促しているようだ。
想像から抜け出し、受け身の態度で歯科診療室に座っている主人公は、薄い財布からカードを取り出し、またしまう。病院を出てた重い足取りで歩く背後では、都市開発が急速に進んでいる。
不安に満ちた生活。主人公はどこに癒やしを求めればいいのか?
つるつる頭の村人しかいない“つるつる村”の理髪師と彼の牛。彼らの店は、廃業の危機に瀕している。ある日、牛が舌で頭をなめると、髪の毛が生えることに気付いた! ところが髪の毛は、伸びると草に変わっていき…。
誰にでも、選択の瞬間は訪れる。その選択に、後悔することもある。この作品は、誰もが一度は感じたことのある、選択の過ちと後悔の物語である。
★名古屋会場ゲスト★
鳥致院*(チョチウォン:조치원)と私の、物理的な距離と心理的な距離は比例していた。高校生だった私と鳥致院、そしていま鳥致院にいる私まで。このアニメーションでは、その関係性を表現した。
*世宗特別自治市内の地域名。弘益大学校のキャンパスがあり、他学部とともに造形学部アニメーション専攻課程が置かれている。
「鳥致院」という3文字から感じる違和感、そしてその後に付く「邑*」という単位は、ソウル近郊のニュータウンに住んでいた高校2年生の私に、激しい拒否反応をもたらした。当時の私と「鳥致院」との物理的な距離“143.89Km”は、そのまま心理的な距離となった。そしていま、「鳥致院」と物理的距離0Kmに存在する私は、心理的な距離も0Kmだ。この作品では、そこに至るまでの、私の個人的な心の変化を表現した。
*韓国の地方行政区画で、多くは市や郡の下に位置する“町”に相当する。
野生の本能が消えた動物たちの世界、猫がサバに食欲を感じる。
“本能と現実との葛藤”をテーマに、主人公の内面世界を視覚化してみた。さまざまな超現実的なアートワークを用いて、主人公の混乱した心理状態をドラマチックに表現した。コミカルなセリフやストーリーのねじれを利用して、観客の笑いを誘おうと試みた。
少年はある日、ひよこ売りの商人に出会う。売られているひよこはすぐ死ぬと知っている少年の目には、商人は死を売る存在として映る。
少年が初めて経験する死。
アフリカのバオバブの木は、10分間で0.008mm成長する。その間に、世界最速の犬のグレイハウンドは12km走り、地球は太陽の周りを18,000km回る。『動きの事典』の上映時間は10分で、私は1日で2秒分を作った。私たちは共に歩き、見て、働き、走り、停止する。
こんなにも違う私たち、どうやって共存していけばいいのか?
*インディ・アニフェスト2019大賞
怖いけど、すべて大丈夫だと自分自身をねぎらい、背中をたたく。
キャラクター・ソロプロジェクト「ドクホさん」で、独特の感性で日常を表現しているアーティスト、「スーパーキッド・ホチェク」の新曲『それでもいい』。ホチェクの魅力的なボイスと甘味なメロディーに、韓国、日本、エクアドルから6人のアニメーション作家が、各自の視線と感性で曲を再解釈して映像を乗せる。日々の生活に疲れた私たちに、温かな癒やしと共感を与えてくれる。
*リレーアニメーション
“寂しい”ことは感情ではなく、状態である。この世に一人で生まれた私たちは、はじめから寂しい存在なのかもしれない。それでも時には一緒に、悲しみを半分ずつ分かちあおう。喜びは倍に増やしてみよう。あなたと一緒なら、寂しさも辛さもすべて一瞬だから。
[存在と存在の“関わり”から生まれる物語を集めた作品集]
近所で出会ったノラ猫とやっと仲良くなれたのに、雨がひどく降った日、猫は死んだ。温かく柔らかかった猫は、冷たくなっていた。その姿は、まるで猫が脱ぎ捨てていった服のようだった。
この作品は、絵描きのホン・ナリとミュージシャンのアン・スンジュンの夫婦が、子どもに伝えたい「死」について描いた物語だ。私たち夫婦は、第一子の誕生を前に、いつかは別れると分かっていながら、誰も答えを知らないこのテーマについて、私たちなりの答えを出そうと思った。愛するわが子に、自分たちの考えを伝えたい。私たちは子どもに、生きる上で、死を恐れたり目をそむけたりしないでほしかった。そして将来両親がそばにいなくなっても、子どもを慰められる何かを、この世に残しておきたかった。アン・スンジュンは詞と歌で、ホン・ナリは絵とストーリーで、一緒に一つの作品を作り始めた。二人がこれから一緒に作っていくであろう、最初の作品である。
*KIAFA特別賞
山の中に、父と娘、そして子どもが暮らしている。父は娘を食べようとするが、娘は拒否し、逃げ出そうとする。
私たちには、どんなにあがいても逃れられない関係がある。そんな関係を、深い山中の家庭で起こる出来事で表現しようと試みた。
地球、月、そして太陽。3つの星の複雑な関係の物語。
この作品は、異なる種類の愛における、繊細かつ必然的なバランスを表現している。天体は、愛、友情、生活習慣、生態系、そして宗教にいたるまで、あらゆるものが抱える複雑な関係の中の、グレーゾーンといえるような普遍的なものを意味している。
韓国の近現代史を生き抜いてきた、女性たちへの献辞。
この作品は、2016年の朴槿恵大統領退陣を求める「ろうそくデモ」で引き起こされた、あらゆる対立と嫌悪のアイロニーに対する問いから生まれた。当時、“ミス・パク”は一種の蔑称となったが、私はアニメーションのテクニックを用いて、一つの意味に収まらない絶対多数の“ミス・パク”を、現在の時間へ召喚しようと思った。長い時間をかけて手作業で制作し、触れたりちぎったり削ったりしながら仕上げるまでの過程は、“娘”“姉”“妻”“母”として生きてきた私の母“ミス・パク”、そして紆余曲折の韓国近現代史を生き抜いてきた、無数の女性たちへの哀悼であり、提議である。
高校の卒業式。当時はクラスメートと証明写真を交換することが流行していた。気まずい仲になってしまったヒジュ、ジス、ドヒョンの3人も、互いに写真を交換する。大人になったいま、写真を見ながら、それぞれが輝いていた瞬間を思い出す。
“光”という素材を通じて、多様性について語ってみたいと思った。この作品は、異なる性格と状況を持つ3人の女性にインタビューした内容をもとに、実話とフィクションを織り交ぜて制作したアニメーションだ。十代の若者の恋愛、友情、性、アイデンティティーに関わる問題を、人それぞれが持つ“光”で表現しようと試みた。
*デビュー賞
ある時、少年の前に幽霊が現れる。少年と幽霊はもともと双子だったが、片方は生まれることなく幽霊となった。幽霊は生きている兄弟をうらやみ、彼の肉体を奪おうとする。
幽霊は生きたがっている。しかし、命ある少年の日常はそれほど幸せではない。毎日いくつもの塾に通わなければならず、宿題をするために深夜まで眠れない。これは韓国の十代の一般的な生活だ。そして韓国の十代の死亡原因は、“自殺”が一位である。
自治体のマスコットを目指すキツネは、マスコット専門学校に通う。彼は狭い部屋に暮らし、多くのアルバイトを掛け持ちする。借金をし、整形手術までして、それでもオーディションを受け続ける。
私たちの時代の、平凡な若者たちの絶望と苦痛を表現しようと試みた。
*一般優秀賞
私は何処から来たか、私は何者か、私は何処へ行くのか。われわれは何処から来たか、われわれは何者か、われわれは何処へ行くのか。すべてを超えて、生命は流れてゆく。
20世紀初頭、パリはヨーロッパ各国から多数のアーティストが集まり、芸術と文化の街として栄えた。「創造的進化」を執筆したベルクソンの思想は、その基調となった。「創造的進化」の言葉をもとに、セザンヌ、マティス、ピカソ、ブラック、ドローネーらの絵画作品へのオマージュを込めて、アニメーション表現を探求し、新たな生命進化の物語を創り出す。
*音楽サウンド賞、審査委員特別賞
★東京会場ゲスト★
「食えない柿をつついてみる(못 먹는 감 한번 찔러본다)*」という韓国のことわざをモチーフに、人間の欲望と業を表現した。
*「自分では食べられない柿を、わざわざつついて傷つける」という意味。イソップ寓話から来たことわざ「すっぱいぶどう」と同様、自分に叶わぬことに対して負け惜しみや悪口を言うこと。
人という存在は、些細なことでどのような影響を受けるのか、そして、それによってどのように変化するかを表現してみたかった。世界で起こるさまざまな出来事を見ると、非常に恐ろしく異常な事件が多い。このような事件を起こす人々は大抵、その意図や理由が明確だが、中には「…ただ、なんとなく」という人もいる。
「柿」という果物自体が、韓国では非常に豊満なもの(欲望)だと聞き、その小さな存在をきっかけに、人々が欲を張るとどうなるのか気になり、物語を作ってみた。
*学生優秀賞
夢と現実、そして私との三角関係。
私が望もうと望むまいと、現実はゆっくりと、しかし、突然近づいてくる。それに比べて夢は、私にはまだ遠い存在だ。夢と現実と私の関係を、親しみのある少女漫画の文法で解析してみた。
*観客賞
★大阪会場ゲスト★
すべてが便利になった世の中で、私たちは時に手書きで手紙をつづる。送った人も受け取る人も、どこかを漂っている手紙に想いを馳せると、胸が高鳴る。アジア各国から送られてきたメッセージ。解釈と感動は、あなたの役目だ。
[アジアのさまざまな地域からの物語を集めた作品集]
『七匹の子ヤギ』を演じる子どもたち。みながそれぞれの役を演じているが、現実と演技の境目が分からなくなるほど、役に没頭してしまう。敗北する運命にあるオオカミ役の子どもは、孤独といら立ちを感じる。彼は自らの役柄に悩み、混乱に陥る。
私たちは生きる上で、常に選択に直面している。選択する時の不安、そしてその結果に直面しながら、人は成長していく。だがもし、選択を運に任せて未知のものを受け入れてみたら、どうなるだろうか? どんな宝物や、驚きに出合うだろうか?
ツファットの古いユダヤ人墓地では、3人の貧しい巡礼者が16世紀の魂に取り憑かれ、不思議な一夜を体験する。
日本のとある街で、1日の終わりに近所の銭湯へ通う母。娘がついて行くと、不思議な行動をとる一部の女たちと、それに溶け込む、よく知らない母の姿を目の当たりにする。
火鍋が好きな人。
この作品は、モンテネグロの伝説<House of the Three Sisters>を原作にしている。
男性でも女性でもないその人は、別のジェンダーのゲームに関わりたい。
早く大人になって沖合の家から抜け出し、外の世界を体験したい野心家の少年。耐えかねて父親を説得するが、父親には反対される。若く野心あふれる少年は、旅立ちを決意する。
父親と息子は、息子の選択により対立する。二人の態度を通じて、父と息子の間の関係を表現した。
情けない自分にうんざりしていたミミ。ある日彼女がいつものようにうつむきがちに歩いていると、怪しげなチラシが目に飛び込んできた。
香港の歴史を背景にしたアニメーション。香港の人々の集合的な記憶を呼び覚まして思い出を掘り起こし、主人公の物語を通じて香港の人々を勇気づける。